バリ絵画の世界

すべての物事はつながっている

バリ絵画のスタイル

バリ語には「芸術家」という言葉がない。芸術は宗教や生活と密接に結びつき、バリ人誰もが芸術家であ生活の中で芸術が生かされている。
バリアートの起源は、ジャワ島に伝わった、インド文化である。

絵画のイメージが初めに現れるのは、バリの古文書であるロンタルや神聖な書物である。
ロンタルはシュロの葉でできており、硬いもので傷をつけて、その傷部分にススをすり込んで絵や文字がかかれる。


上写真は現在、商用に売られているロンタルで、ラーマヤナ物語が描かれている
ロンタルに由来する絵は、そののち、儀式に使われる布タンバルにデザインやシンボルとして描かれる。

10世紀ごろ〜: 当時のバリアートの形が現在の仮面や音楽、ワヤン(影絵芝居)に残っている。
14世紀半ば: バリ古典期のスタイルが、ジャワ島を中心として栄えた、マジャパイト王国の影響のもと生まれた。このスタイルの原型は東ジャワの寺院のレリーフに見られる。

ほとんどの芸術作業は、宗教と結びついていた。寺院での彫刻、入り口のレリーフを中心に、多くの家の玄関にある翼ある獅子の石像などがある。作業は、適した時間に行われ、小さな儀式をともなった。

バリのアートはジャワ化されたインド文化から来ているものがほとんどであるが、中国の影響も大きい。
建築物、レンガ、タイルなどは中国が起源である。彫像や仮面などの木彫や、バロン(Barong)などの神話上のキャラクターも中国から伝えられている。特に、1930年代に果たした役割は大きく、墨もこのときに伝えられる。

バリ絵画はいくつかのパターンに分けることができる。ここでは絵として分類できる、主なスタイルをあげた。



バリ古典期(約17世紀ごろ〜)
カマサンスタイル(ワヤンスタイル)


インドネシアの影絵芝居、ワヤンの物語をモチーフにしている。
ラーマーヤナ、マハーバーラタ、ヒンドゥー神話などがある。クルンクン県のカマサン村で受け継がれている。
絵の特徴として、ワヤンに由来する横顔、斜めから見た人物の姿があげられる。
題材や物によって、決まった描き方あり、組み合わせることで絵をつくっていく。
絵を仕上げる作業は、たいてい共同で行われる。一人が下絵を描き、ほかの人が色をつけるといった具合である。
古いものほど個人の署名がなく、作者不明とされていることが多い。


全体の特徴としては、一枚の絵のなかに、いくつもの場面が描かれている。
場面を追うことで、描かれた物語の内容を知ることができる。
スマラプラにある、クルタ・ゴサ(旧裁判所)の天井壁画は有名である。
また、グナルサミュージアム(GUNARSA MUSEUM)では画家であるグナルサ氏による、
古くからのカマサンスタイルの絵画コレクションを見ることができる。
彩色は主に天然顔料を使っている。
黒:すす 白:ブタの骨 黄土色:くだいた石 インディゴブルー:葉 赤:チャイニーズレッドバーミリオン
木綿布キャンバスの下地:お米のペースト

最近では、ポスターカラーも使われているが、色持ちが悪い。
代表的な画家:ニョマン・マンダラ(Nyoman Mandara)
マンク・ムラ(Mangku Mura)

オランダ統治下1930年代〜)
バトゥアンスタイル


プリ・ルキサン美術館所蔵 Gajah Mada,Prime Minister of Majapahit,1934より

1920年代から1930年代にかけて、西洋人芸術家たちがバリに滞在した。その影響を受けてバリに新たな芸術が生まれた。
バトゥアンスタイルは西欧の遠近法を取り入れ、バトゥアン村で生まれた。
白・黒で描かれる細密画である。モチーフは、マハーバーラタ、ラーマヤナ、バリ民話から日常生活まで幅広い。
1936年、二人の人類学者マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンがバリを訪れ、バトゥアンに滞在した。
彼らはバリ文化を研究する材料として、農夫たちに1200以上の絵画を描かせた。
これら絵画コレクションは長い間、未発表のままであったが、1995年のヒルドレッド・ギアツによる展覧会で初公開された。
日本では福岡市美術館で公開された。

彩色には墨が使われ、濃淡をつける技法が用いられる。
最近では、トーンをおさえたアクリル絵の具を、墨の上に乗せた絵画も見られる。
代表的な画家:イダ バグース ウィジャ(Ida Bagus Wija)
イ ゲンドン(I Ngendon)
イダ バグース トゴッグ(Ida Bagus Togog)


1930年代〜
ウブドスタイル

西洋人画家の影響を受け、ウブド村やその周辺の村々で発展した。
芸術家ヴァルター・シュピース(ドイツ)や画家ルドルフ・ボネ(オランダ)が滞在し、それまでの平面的なバリ絵画に遠近法や陰影が生まれた。

彩色には、下地を墨の濃淡でつくり、その上にたっぷりの水で溶いたアクリル絵の具を薄く薄く、何重にも塗り重ねていく。
テーマは、自然から人々の生活風景、市場の様子まである。


墨で下絵を作っている段階

代表的な画家アナック・アグン・ソブラット(Anak Agung Sobrat)
デワ・プトゥ・ブディル(Dewa Putu Bedil)
イダ・バグース・ナデラ(Ida Bagus Nadera)


1950年代〜
ヤングアーティストスタイル

オランダ出身の芸術家、アリー・スミットのもとで絵を描いたバリ人によるスタイルで、プネスタナン村より発祥する。
スミットは、描き方ではなく、色の組み合わせ方を教えた。明るく、にぎやかな色使いと太い輪郭線が特徴である。
バリ古典期からの平面的な絵柄は、そのまま受け継がれている。
このスタイルは、ヨーロッパ、とくにイタリアで注目を集め、数千点の絵が輸出され、売られた。
こうした商業目的の状況のため、売れる、決まった型の絵が大量に描かれた。
テーマは、寺院での儀式の場面、田園で働く人の様子などがある。
彩色は、墨で下絵をつくり、アクリル絵の具で色をつける。
代表画家:イ・クトゥット・タゲン(I Ketut Tagen)
イ・ニョマン・ロンド(I Nyoman Londo)
イ・クトゥット・ソキ(I Ketut Soki)



1970年代〜

プンゴセカンスタイル

ウブドの南にある、プンゴセカン村で描かれる。
1970年ごろ、淡い色合いの作品を作る、イ・グスティ・クトゥット・コボットとマンク・グスティ・マデがいた。
二人は若いころ、ウブドでヴァルター・シュピースに絵を学んでいた。
また同じころ、イ・デワ・クトゥット・ルンガンが鳥や木の葉を描き、村の子供たちに絵を教えていた。
彼らの絵のかたちは混ざり合い、イ・デワ・ニョマン・バトゥアンが創立したグループ、”コミュニティ オブ アーティスト”のなかで、
一つのスタイルとして出来上がった。
テーマは、動物や自然であり、淡い色合いで描かれる。下絵は、ウブドスタイルと同じく、墨でつくる。
写真に由来する、クローズアップされた対象物が特徴である。



イ・グスティ・ニョマン・レンパッド(I Gusti Nyoman Lempad)(1862−1978)

スタイルではないが、ひとつの独立したアートを作りだした人物としてとりあげる。
ウブド北部のブドゥル村で生まれ、絵画だけでなく、彫刻や建築に携わる。
伝統的なワヤンスタイルを独自の描き方で発展させた。絵には希薄感が漂い、その輪郭線は光と動きで満たされている。
題材は、たいてい神話からの物が多いが、日常生活や性についても描いた。




現在
モダン・スタイル


油やアクリルで、抽象画を中心に、人物や事象を描くスタイル。バリの伝統絵画とは制作段階も全く異なり、いわゆる一般的な西洋絵画である。
バリのデンパサールにある芸術大学の絵画科では人気のスタイルである。村のギャラリーでもバリ伝統絵画よりも、多く売り出されている。
描き手は主に、若年層である。伝統絵画と比べて、制作に時間がかからず、完成度の高い作品ができ、売れることから好んで描かれている。


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