バリ絵画の世界

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バリ島の歴史
バリ島はインドネシア諸島のなかで、唯一、ヒンドゥー教の島である。
人口は約300万人、ほとんどがバリ族で、ほかにジャワ人や華僑が住む。
このヒンドゥー教は、アイルランガ王(ジャワ島のマジャパイト王国))の時代に、ジャワ文化とともにやってくる。1343年に、ガジャ・マダ大臣の軍によってバリ島は征服される。ヒンドゥー教はバリ先住民(バリ・アガ)のアニミズム信仰と結びついて、インドとは違った固有の宗教を作り出した(バリ−ヒンドゥー教)。ヒンドゥー教以外では、少ないがイスラム教、仏教、キリスト教を信仰する人々がいる。
宗教別の内訳は、ヒンドゥー教徒約93%、イスラム教徒約5%、仏教徒0.55%、キリスト教徒約1,05%(1996年現在)である。

近年まで主な産業は農業であった。稲作を中心に、畜産業を営む。最近は、観光地として、観光業が盛んである。
気候は、大きく雨季と乾季にわかれ、4〜9月が乾季、10〜3月が雨季とされる。
言語は公用語がインドネシア語で、バリ人どうしの日常会話はバリ語でなされる。

バンジャールと呼ばれる地域共同体をひとつの単位として、村の祭りや儀礼、運営が行われている。


■年譜

紀元前後、東南アジアに拡がる、ベトナムのドンソン文化の影響が見られる。ぺジェン村のプナタラン・サシー寺院(Penataran Sasih)にある銅鼓は、ドンソン文化の様式である。稲作の技術もこのころ伝わったと思われる。

9世紀ごろ、ジャワ島勢力の影響が、ゴア・ガジャ遺跡やイエ・プル遺跡のレリーフに見られる。

14世紀、ジャワのマジャパイト王国に征服され、属国となる。現在のクルンクン県にゲルゲル王朝をつくる。

1478年、ジャワのマジャパイト王国がイスラム勢力によって滅ぶと、ジャワから多くの学者、工芸職人、芸術家たちがバリ島へ亡命した。

16世紀後半、バリは小王国に分立する。権力者は旧マジャパイト王国の貴族につながる地方官などがなった。

17世紀ごろ、オランダとの貿易が行われていた。香辛料と奴隷貿易が盛んであった。

オランダとのあいだに、戦いを繰り返し、二度にわたってププタン(死を覚悟した戦い)が行われる。
1906年、オランダがバリ島を占領する。このときの8王国が、現在のバリ州となる。ブレレン、ジュンブラナ、タバナン、バドゥン、ギャニア
ール、バンリ、クルンクン、カランガサムの8県である。

第二次世界大戦時、日本の占領下となる。

1945年、日本軍が撤退する。

1949年、事実上オランダからインドネシアが独立する。ハーグ協定により、インドネシア連邦共和国が成立成立する。
1950年、バリが共和国政府に参加する。

1965年、インドネシアでクーデター。共産党が非合法化された。バリでも神を信じない共産主義者に対して、殺戮が行われた。

クーデター後、スハルトが大統領になる。

2001年、メガワティが大統領になる。