バリ絵画の世界

バリ島の歴史
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2005年7月22日(金)
ウブド村での絵画レッスン

ウブドへ戻り、最後の2週間を過ごす。ワヤンおすすめのコテージに3日ほど泊まる。このウブドで絵を習おうと思っていたが、とくに行く宛を決めていなかった。ともかく、ギャラリーを見てまわった。新しい作品も増えていてまた新しい気持ちでバリ絵画を見つめることができた。美術館にある作品はなかでも本当に素晴らしい。おみやげ用に描かれた絵と違い、洗練されている。絵をこよなく愛する人たちによって描かれているのが伝わってくる。混沌として煮詰まったようにひしめく熱帯植物たちと人々の群れ。バロンにランダ。お祭りの風景。鳥や蝶々。その息をまさにその場で感じられるようで魅了される。やはり好きだと強く感じた。くまなく歩き回ってすっかり足が疲れてしまい、日も暮れてしまったので夕飯どころを探しにうろうろしていると明かりがこうこうとともって部屋の中が見える家があった。ガラス扉でのぞくとバリ人のおじさんが自分の背の高さくらいのキャンバスに向かって絵を描いている。気になるので玄関脇からじいっとのぞき込んでいたら、画家さんが気付いて声をかけてきた。「中に入っていいよ。」やったあと思いながら、靴をぬいでお邪魔した。カラフルだけれど暗さを併せ持つ独特な雰囲気の宗教画がそこにあった。大きなゾウを描いている。その体は中国の昔のお金でおおいつくされている。こんなスタイルのバリ絵画ははじめてだ。「これはバリの伝統絵画とモダンスタイルを組み合わせて私が独自に生み出したスタイルなんだよ」すっかり魅了されてしまった私はほかの絵も見せてもらった。女神の絵やレゴンダンス、ヒンドゥー教の神様の絵などがたくさんあった。迫力は抜群だ。「2年前はジャワ島でグループ展に参加したんだよ」そう言うと、彼は展覧会のパンフレットを持ってきた。インドネシアの画家さんの顔写真と絵がカラーで載っている。そのなかに彼の絵もあった。ゾウのガネーシャの絵だ。印刷されても迫力が失われていない。私も絵を描くのが好きで絵を学びにきたというと、「良かったら教えてあげようか?私はたいていいつもここで絵を描いてるから」「いいんですか!ぜひともお願いします」すぐに話は決まり、翌日の朝から絵を習うことになった。私が女神サラスワティを描きたいというと「わかった。それ用に私がキャンバスを用意するよ」着々と段取りが決まる。部屋の奥から先生の小さな子供と奥さんも出てきた。奥さんはとてもやさしそうな人でただ、にこにこと微笑んでいる。子供はやんちゃでお父さんの服をひっぱったりして騒ぐ。明日の朝9時にお邪魔すると約束してアトリエを後にした。ひょんなことからすぐに絵を習うことになって、でも良かったなあと思う。その通り沿いのレストランで夕飯を食べ、帰宅した。

翌朝、さっそく先生の家へ向かう。宿からは歩いて10分という近さだ。「おはようございます!」アトリエに着くと先生はすでにキャンバスに向かっていた。「集中しているときはごはんも食べないのよ」と奥さんが言う。夜通し描いていることもままあるという。奥さんも絵の具の混ぜたり、ときどき色を塗るのを手伝っているという。先生はもとは小学校の絵の先生をしていたのだが、作品づくりに専念するために退職して、もっぱら画家としての道をすすんでいるという。私はカマサンで一度デッサン練習をしたというと、「いきなり本書きに入っても大丈夫かもね」と言われ、私が戸惑っているとスケッチブックにスルスルと女の人の絵を描いた。「これと同じように隣のページに絵を描いてみなさい」さっそく取り組む。書き上がると「ああ、問題ないよ。今度はクジャクだ」そういうと目の前にあった絵のなかのクジャクを指さした。それをまたスケッチブックに描いた。「よおし、本書きしちゃおう」そういうと、先生は麻布のキャンバスを私に渡した。お手本になる絵は女神サラスワティだ。「装飾のところを取り入れて、自分なりに描いてみて」いきなりそんな難しいことを、、と思いながらも私はキャンバスに向かった。お昼になると先生の奥さんがごはんを出してくれた。「ありがとうございます」激辛のナシチャンプルをいただく。あまりに辛くて涙が出る。それを先生は何事もないかのようにぱくぱくと食べる。私が泣き顔になっているのを見て「水飲みなさいよ」と苦笑してひとこと。たまりかねて水をごくごく飲む。汲み置きの生水としか思えないがこの辛さには耐えられない。しばらく口の中がひりひりするのを我慢して、落ち着いたころにまた続きを描きだした。バリの家庭料理はほんとに辛い。

絵を習っている最中は先生や奥さんといろいろな話をした。バリの絵画界事情やら絵の相場から画家どうしのつながりまで。先生は自分の絵よりも友達の絵を私に買ってほしいと進めてきた。「友達がお金がなくて困ってるんだよね」仲間意識が強くて助けあいの精神だ。先生は売るためというよりも、ただただ絵が好きでしょうがないという。「展覧会があれば見に行くしね。時間なんて忘れちゃうよ」バリでおみやげ用の絵が氾濫してこぞって描かれるなかで、こうした画家さんに出会えたことは本当に貴重だ。先生の家には友達の画家さんもよく遊びにきていて、アトリエで一枚ささっと仕上げて帰っていく。私の絵を見て「こんなの見たことないなあ。でもすごいパワーを感じるよ。いい絵だ」と褒めてもらえたときは嬉しかった。まったくの未熟者ながら。アトリエには長くいるときで6時間くらいいた。夢中になると手をとめられなくなる。横でひたすらゾウの絵を描いている先生も気になるし。ゾウとサカナとダンサーの絵を平行して描いているのだが、ときどき「これどの色がいいかな」と意見を求められる。ゾウの絵はかきあがったら日本へ持ち帰っていいよということだった。こんなチャンスはない。ゾウのバックにピンク色をリクエストする。「わかった!」先生はピンクを塗り始めた。あたたかい印象になる。私は描いている女神サラスワティのバックに真っ赤な絵の具を塗る。それをみていた先生が「赤がいい!」と言いだし、ゾウのバックにも赤が塗られることとなった。力強いゾウが演出される。バックの色を変えただけでだいぶ印象が変わるもんなんだなあと驚く。制作期間は私が帰国するまで1週間弱だった。「これきっと描き終わらないね。日本に持って帰ってかくことになるね」それまでに先生に基本を教えてもらわねばと必死になった。途中、日本から友達が遊びに来てブランクはできたものの、順調に進んだ。