バリ絵画の世界

バリ島の歴史
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2005年7月26日(火)
日本からのお友達とニョマンさん宅

日本の仲良し友達が来て、私が昨年とまっていた画家のニョマン先生のゲストハウスにみんなで泊まることになった。みんなバリ島がはじめてということで、いろいろ案内したいなあと思った。屋台にギャラリーに市場に海にと盛りだくさん。田園散歩もしてもらいたい。それでかなりスケジュールがいっぱいになってしまった。ワヤンが仕事を休んでくれたので車でそこかしこをまわってもらう。朝から夜まで一日中。夜はお祭りに参加したり、かなり至れり尽くせりだったように思う。はじめてバリに来てこんなにたくさん観光できて現地の人にも触れられてみんな幸せもんだと思ってしまった。ニョマン先生の手作り料理も美味しくてたまらない。その腕前は村の人が料理を習いにくるほどだ。みんなと一緒に過ごすバリはいつもと違って新鮮で楽しかった。もっともっといろんなバリを知ってもらいたいし、私も知りたい。

最後の1週間は画家のニョマンさんの家にお世話になった。私が尋ねるととても喜んでくれた。ニョマンさんは日本人と日本語が大好きで日本語もなかなか上手だ。昨年行ったときに、オーストラリアの大学のシンポジウムに参加するかもしれないという話をきいていたのだが、ついに実現したという。そのときの資料を見せて貰った。慣れないスーツを着て、はじめて飛行機に乗り、まだ冬の寒いオーストラリアの地に降り立ったという。「だけど、寒くて死にそうだった!だから帰国を1週間早めてもらったんだよ」熱いバリに暮らしていればそれはそうだろうなあと思う。「でも会場はすごい人でね。私が描いた絵をスライドで出したらみんなおおーって驚いてたよ」ニョマンさんはバリの細密画である伝統絵画を描いていて、魔物をテーマにした絵を資料として提示したらしい。それは迫力があったに違いない。講演は英語で行われ、ニョマンさんは必死で英語を勉強していったそうだ。もともと英語が達者だったけれど、磨きがかかったようだ。その講演に行ってみたかった。講演ではバリ島の村の生活や文化、歴史について話したという。ニョマンさんはかねてから会いたかった、オーストラリアの先住民族アボリジニの人たちとも出会えてよかったといっていた。第二回目もあるかもしれないとのことだ。ニョマンさんは哲学や宗教や文化など本当に詳しく、深いまなざしを持っているのでこうした考えがもっと多くの人たちに伝わればいいなあと思う。私も滞在中はひまな時間があればいつも1時間も2時間もニョマンさんと語らっていた。ニョマンさんの話の中でよく出てくるのが、「何がいいのか、悪いのか、わからない」という言葉だ。「みんながよくなるように生きていたいと思っているんだけれど、お金がないと生きていけなくて、つい欲張ってしまったり、でも生活のためには必要だし。一体どうしたら一番いいのか」それでもんもんと悩むことも多いという。バリ島というとのんびりして、田園がひろがってみんな笑顔でやさしくて、というイメージをしてしまうけれど内実はこうした悩みを抱えている人も多い。悩みのない人なんかいないといっていい。笑顔の下にはいくかの悩みが隠れている。バリに限らず、これはどの国のひとたちをとっても言えることだと思う。

バリ島はお祭が多いことで知られるけれど、このお祭をするために莫大な費用がかかる。日常の小さなお祭ですら出費があるのに、1年に2回の大きなお祭ともなるとバリの平均月収の3倍以上もの出費がかさむという。それでこの時期は犯罪が多くなるという。一番多いのは盗みで、お供えのためのお金だったりあひるとか果物だったり、さまざまだ。旅行者も狙われやすい。バリのテレビ番組で盗みをして警察につかまった泥棒の証言を映していた。「生活のために盗んだ」いけないとわかっているけれどどうしようもなく盗んだ、という状況がほとんどだ。神様に感謝と祈りをささげる、お祭の裏にはこうした皮肉な苦労もあるのだ。果物も野菜も穀物も豊富なバリだけれど、貨幣経済が浸透してからは簡単に手に入れられない事情もでてきているのだ。生活は一部の人はよくなっても、一部の人はさらに苦しくなったり。本当に何がいいのか、悪いのか、わからない。そのときの状況で判断するしかないし、それが生きていく、ということかもしれない。

ニョマンさん一家には美人で大柄な奥さんと高校生と中学生の息子がいる。中学生のマデくんはやんちゃで、愛嬌がたっぷりである。お父さんの血をひいてか、絵を描くのが上手で私も何枚か描いてもらった。ガムラン教室にも通っていて、バロンのお祭ではその舞台で腕前を拝見させてもらった。なかなかに芸達者だ。兄のプトゥくんは恥ずかしがりやであまりしゃべろうとしないけれど笑顔がすてきな子だ。最近は美人さんの彼女ができて、生活が変わったとか。携帯電話を何回も買いかえたので出費がかさむとニョマンさんが愚痴をこぼしていた。お母さんは一度怒って携帯電話をとりあげたらしい。こんな様子は日本でもあるなあと思いながら話を聞いていた。ニョマンさんのおうちはバリでもかなり裕福だと思う。陶器の食器を使い、洋服も仕立てのいい服を着ている。オーディオもあってCDやテープがきける。バリではなかなかすごいことだと思う。