バリ絵画の世界

バリ島の歴史
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2005年7月6日(水)
デンパサール散策

バリに着いた翌朝、さっそく踊りを観に出かけた。宿が会場から歩いてわずか5分という距離でとても便利な環境だった。朝はまだ人がまばらで、屋台のフルーツ売りや焼き鳥売りのおじさんやおばさんもひまそうにしている。早速朝10時からの公演を観る。野外ステージで青少年グループのガムラン演奏とお芝居だった。お芝居は日本でいう狂言みたいなもので、バリでは女の人のみで演じる。石段に腰かけて観ていたのだけれど、これがおかしくてしょうがない。気が強くて男勝りな女の人と気が強くて年配の女の人とのやりとりなのだけれどしぐさと動きが面白い。バリ語なので何をいっているのかはわからないのだけれど、とにかく笑えるのだ。客席まで躍り込んできて悪態をついたり、誘惑したり、こんなことを2時間もやっていた。バリ初日から大爆笑だった。

気がつくと、すっかりお昼になっていた。午後は夜までイベントがないのでデンパサール散策をすることにして、会場を出た。お昼はガイドブックにのっていた、サテ・カンビン(羊肉の串焼き)が美味しいお店に行くことにした。会場から1時間半くらい歩いて、暑さと疲れでへとへとになってようやく到着した。地元の人気店といううたい文句だったが、見てみてなるほどと納得する。狭くて肉を焼く煙でもくもくしている店内に現地の人たちばかりが好きずきにイスに腰かけて、サテ(串焼き)を食べている。おじさんばかりで少し引いたが、勇気を出してお店に入り、サテ・カンビンを注文する。そこにバリでは定番の甘いお茶「チェ・ボトル」をつける。しばらくすると、プラスチックのお皿にサテが山程盛られてごはんと一緒にやってきた。なんと串焼きは10本だ。これはすごいなあと驚きつつも、ひたすら食べた。意外に羊肉というのは食べやすくて10本ペロリと平らげてしまった。目の前に座っていたバリ人が食べるのを興味深そうに見ていたが、私が串から肉をお皿に一度はずしてから食べているのを見て、途中からそれをまねしだしたのはおかしかった。こんなローカルフードのお店に外人がやってくるのは珍しいのかもしれない。

お腹がいっぱいになったところで、バリの博物館へ出かけた。オランダ軍との戦いで、バリの王族たちが殉死したププタン広場の向かいにある。いくつかの施設でできていて、ガイドさんが案内してくれた。バリのお芝居で使う仮面やら衣装の展示、土器の展示がされている。館内にある高台からの眺めはなかなか良い。ガイドさんが面白い人で、ダンスを踊ってくれたり、島内のお祭の話から観光スポットまで教えてくれた。といっても無料ではないので、チップは必要だ。相場はそのときどきで、自分が満足した分だけ渡している。

夕方でちょうどオレンジ色の太陽が美しい時間になった。たくさん歩いて疲れていたので、ププタン広場で休もうかと歩いていると声をかけられた。バリ人の売り子さんとそこで何人か群れている人たちがいた。「飲み物いかが?」飲み物はすでに持っていたので遠慮すると、群れている中の1人のお兄さんが「話そうよ!日本語勉強してるんだよ!」ちょうど腰かけられるところもあって、どうにも座りたい気分だったので座ってしばし話すことにした。その人はマデさんという名前で、日本語を勉強しているというから結構はなせるのかと思ったら、挨拶くらいしかできないようだった。「これから勉強したいと思ってるんだよね。日本語できたほうがガイドとかになってお金たくさんもらえるから」観光客で日本人が多いバリでは日本人向けガイドの仕事が人気で、お給料もいいのだ。私が絵を勉強しにバリへ来たと言うと、「私は絵を売り歩いてるんだよ!見て!」と近くに停めてあったバイクの荷物入れからクルクル巻いてある絵を取り出した。広げるとバリ絵画のなかでも最も古い形式のカマサンスタイルのカレンダーが描かれていた。「すごい!これ描いたの?」私が聞くと、「私のおじいさんが描いたんだよ。カマサン村に住んでいるんだよ」カマサン村は私が滞在中に行って絵を習おうと思っている所だったのですかさず、「私はその村で絵を習うつもりなの!」と言った。「へえ!そうなんだ!あそこは画家さんに頼めば教えてくれるところがあるからね」そう聞いて、少し安心した。カマサン村で絵を習いたい画家さんを訪ねても、気軽に教えてもらえなかったらどうしようかと思っていたのだ。カレンダーにはたくさんの動物と人間の絵が描かれている。「意味わかる?これはね、生まれた日付と曜日で生まれ持った性格がわかるようになってるんだよ。誕生日はいつ?」私が答えると説明してくれた。「大きな海が象徴だね。性格は穏やかで静かでそうして包容力があるよ」私の性格はたとえると大きな海になるのかあ、そんなことがわかるんだ。とあらためてカマサンスタイルのカレンダーに興味を持った。この伝統スタイルのカレンダーは後にカマサン村で買うことになるのだった。「あと、忙しい生活は向いていないよ。のんびりと生活するのがあなたに合っているよ」これはまさにそう!と思った。これであちこち出歩いてばかりいるけれど、ほんとうはひとつ所に落ち着いてのんびりゆったりした時間を過ごすのが大好きなのだ。あたっているなあと思う。占いのルーツは中国だろうか。

「君、描いた絵持ってるの?」私は日本からバリへ向かう途中の飛行機の中で描いた絵を見せた。飛行機から見た空の景色とガルーダ・インドネシア航空のスチュワーデスさんの絵だった。「うわー!きれいだねえ」しばらくじいっとマデは絵を眺めていたがふと、「ねえ!私の顔描いてよ」と言ってきたので似顔絵ははじめてだなあと戸惑いつつも描くことにした。年齢不詳だがおそらく20代後半くらいの青年で、肩より少し長い髪を後ろに束ねている。バリ人らしい彫りの深い顔で、黒い目が印象的だ。描き始めると周囲にいた人たちが集まってきて、スケッチブックをのぞき込むので緊張する。けれど「うまいよ!似てるよ!」と言われるとほっとする。描きあがってマデに渡すと大満足の笑顔で「ありがとう!すごく嬉しいよ!」と言われ、こんなに喜んでもらえるなんて感激だった。マデは長いことその似顔絵を眺めていたのだけど、何か考えたらしくその絵を私に戻した。「髪の毛ほどいたのを絵にしてほしい。描きなおしてもらっていいかな?」なんと描き直しを命じられてしまった。私は笑いながらも髪をほどいたマデを描くことにした。なかなかこだわりがあるようだ。できあがると大切そうにまるめて、細い木の皮でしばって胸ポケットにしまっていた。「これすごく大切にするよ」そういうと、マデは売り子の少年に「この人にコーヒー一杯つくってあげて!」私がえ?と驚いてマデを見ると「気にしないで!お金は私が払うから」と笑顔だ。似顔絵の代わりと言いたいようだった。私はそれをありがたく受け取った。バリ人にはなんでもフェアにする考え方がある。何かするとそれ相当の報酬を要求されるけど、こちらが何かをあげるとその分のお返しをしてくれるのだ。このテイクアンドギブの気持ちを忘れずにいるとバリではかなり上手くやっていけると思う。
そういう意味で私はこのデンパサール滞在中に似顔絵を描くことで、かなり生活が成り立っていたように思う。というのも、滞在中に70枚以上もの似顔絵を描くことになり、似顔絵を描くと飲み物やらごはんやらをふるまってもらっていたので、食事には困らなかったからだ。

ププタン広場の絵を最後に一枚描いた後、私はアートフェスティバル会場に戻ることにした。「ありがとう。またいつか会おうね。私はたいていここの広場にいるよ」マデと固い握手をして別れた。売り子の坊やと周りにいた人たちも「またね!」と笑顔で手を振ってくれた。足の疲れもだいぶとれて、またてくてくと長い道のりを歩いて会場まで戻った。途中、信号もなくて車とバイクの通りが激しい道を渡らなくてはいけないのだが、なかなか途切れなくて渡れないでいた。すると通りすがりのおじさんが手をばっと上にあげて車流れをさえぎってくれた。今のうちだよ!と私に合図してくれたのでお礼を言って急いで渡る。こんな小さな親切にもひどく感動して嬉しかった。通りのワルン(食堂)でバリの甘い野菜炒め、チャプチャイを夕飯に食べ、ミキサーにかけられた美味しいミックスフルーツジュースを飲んで会場へ向かった。このワルンには滞在中何度かお世話になった。安くて美味しくてくつろげるいいお店だった。

会場では野外の一番大きなステージ、円形ステージで子供達による踊りが行われていて見に行った。会場はいっぱいで私はあいている席をようやっとみつけて腰かけた。ライトがステージにぱっとあたり、金色の衣装につつまれた子供達が出てきてかわいらしく踊っている。妖精のようだった。
あっという間に時間は過ぎ、私は帰りの人混みにまぎれて宿へ戻りシャワーを浴びると倒れるように眠り込んだ。初日から充実した一日だった。