バリ絵画の世界

バリ島の歴史
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2005年7月14日(木)
マス村の青年会誕生祭

フェスティバル開催中、いつものように午前の踊りを見終わってお昼を売り子たちと食べていると携帯に電話がかかってきた。ワヤンからだった。「午後は時間ある?私の村でお祭があるよ。デンパサールに住んでる弟夫婦が車で村に行くから一緒に乗っけていくよ」お祭と聞いて、血が騒ぐ。「行きたい!」考える間もなく返事をする。
午後2時頃、弟夫婦が泊まっているロスメンへ迎えにきてくれ、一緒にマス村へと向かった。マス村はワヤン家族が住む村で、日本でいうお盆にあたる時期に行われる、ガルンガンとクニンガンというお祭が盛大なことで有名だ。この日は、村の青年会設立記念日の前夜祭だった。バリの村にはバンジャールと呼ばれる共同体組織があって、村の運営はこの組織によって成り立っている。青年会もその一部で、結婚前の男女が入っている。
マス村はデンパサールから車で30分くらいのところに位置する。途中、石の彫刻で有名なバトゥール村、銀細工で有名なチュルク村、染め物イカットで有名なスカワティ村、伝統絵画のひとつ、バトゥアンスタイル発祥のバトゥアン村を通る。車には弟夫婦以外に、いとことおばさんが乗っていた。ワヤンのいとこである、コマンちゃんは私と年齢も近く、車のなかで日本語の勉強会を繰りひろげながら、楽しく時間を過ごした。村に到着して、ワヤン一家が住む家へと向かう。1年前に訪れたときと変わらない家とワヤンのお父さんとお母さんと兄弟たちがいた。私があいさつすると、とても嬉しそうで手作りのお菓子を出してくれた。黒いおもちで一体なにが入っているのかわからなかったが、黒砂糖の味がした。

食べ終わるころ、ワヤンの妹のコマンさんが声をかけにきた。「さあ!今高い竹に人がたくさん登っているよ!行きましょう!」竹登り?私がきょとんとしていると、手をひっぱられ家を出て5分くらい歩く。すると小さな広場に人だかりができているのが見えた。近づくと、なるほど、背の高い竹を地面にたてて、それを下から押さえる人がいて、その竹に男たちがむらがって登ろうとしている。竹のてっぺんには円形の竿がつけられ、そこに果物やら鶏やらボールやら服やらがひもで結びつけられている。それを男たちが登ってとろうとしているのだ。ワヤンのおばさんにこれは一体なんなのかと聞くと「上についている景品を、竹に登った人が1つだけとれるんだよ」という。そうか、それでみんな必死になって登ろうとしてるんだ。けれど、てっぺんに行くまでに障害が用意してあって、竹につるつるすべるように墨が塗りつけられているのだ。そこまでは登れても、その墨のところでつるーっと滑って下まで落ちてしまう。それで下にいる男たちが上にいる人を助けて、支えになっているのだ。この登ったり落ちたりを延々、景品がなくなるまで続ける。なんとまあ時間がゆったりとしていることだろう。そして、みんなのがんばれーがんばれーという声援と熱気のすごさ。ただですら日中の熱い時間であるのに、ものすごいことだ。私は足が疲れてしまい、歩道のコンクリートに腰かけていたのだが突然ひときわ大きな声があがった。どうしたのかと立ち上がって見ると、女の人が竹に登っている。「すごいぞ!女が挑戦するよ!」と村の男たちは大盛り上がりなのだ。その女の人はバリでは珍しい茶髪で、短い髪の毛を振り乱して必死の形相で竹に登っている。もう少しでてっぺんにつきそうなところで、しかし墨のすべりに負けてしまった。「あー!」
みんなのがっかりした声が響く。私も一緒になる。女の人はそのまま走ってどこかへ行ってしまった。恥ずかしくなったんだろうかと思っていたが、しばらくすると服を着替えて、さっきまでビーチサンダルを履いていたのを裸足になって走ってやってきた。ものすごくやる気だ。またもや男たちが盛り上がる。「また女が挑戦するぞー!」今度は女の人はするすると上のほうまで登って行く。コツをつかんだらしい。墨のところまできて、私はがんばれーっと祈る。そうして、彼女はその墨を乗り越えたのだ。「おおー!」と歓声があがる。彼女の手が景品に届いた。パジャマだ。それを紐からもぎとると、下にいる私たちに向かって大きく振りかざして見せた。そのときの彼女の勝ち誇った顔は忘れられない。女だてらにすごいもんだと村人たちは言いはやしている。
このあとも、ルール違反で景品を一度に2つ取った人がいて大ブーイングでもめたりしながらも、男たちはどんどんと景品を獲得していった。それでもすべての景品がなくなるまで、なんと3時間かかった。これも前夜祭の儀式のひとつなのだという。どんな意味があるのかはわからないが、マス村だけでなく、他の村でも青年会設立記念日の前夜祭に行われるものらしい。獲得された景品はたくさんあるので、近所で分け合っている人もいれば、ボールなどのおもちゃは子供達が取り合って泣くのわめくのの惨事になっていた。とにかくにぎやかだ。大の大人たちが竹に登ってニワトリなどを取り合う様は一見、笑いを誘うような光景だ。それでも、見ているうちにだんだんとその背中がかっこよく見えてくるから不思議だ。人が夢中になって何かを成し遂げようとしている姿というのはやっていることがどんなことでも、輝いていて格好良く見えるものなんだなと感動を覚えた。

日も傾きかけてきて、私とワヤン一家は家路につく。お母さんが近くの森にパパイヤを取りに行くというので、コマンちゃんと一緒に出かけた。田んぼの畦道を歩く。私たちが歩いている道の反対側は、あひるの群れが列になって歩いていた。グエッグエッと鳴きながら、飼い主らしき人の後ろをついて歩いているようだ。いいのか悪いのか、なんと従順なあひるたち。そうして、私たちは森へ入り、パパイヤを探し始めた。木の上を見上げると、青いパパイヤや黄色く熟れたパパイヤがあった。お母さんは下に落ちていた木の竿を使って、熟れたパパイヤをつつく。すると、地面にドサッとパパイヤが落ちてきた。うまいものだ。それを私が抱えて歩く。森から出るとき、パパイヤの太い幹をナタで切り、お母さんは頭の上によっこらと乗せた。ものすごく重いだろうにしっかりと背筋を伸ばしてすっくと歩いている。バリ人の女性はなんでも頭の上に物を乗せて歩くから年をとっても背筋がぴんとしているんだなあ。帰り道、田んぼに寄り道する。お父さんが田んぼで雑草狩りをしていたのだ。日はもうだいぶ陰ってきている。コマンちゃんがナタを持ってきて「私も手伝う!」と狩りはじめた。私は田んぼをうろうろ歩いて、お父さんの写真やら田んぼにいて「写真とってよ!」とせがまれた近所の人の写真を撮っていた。そうして、大きなビニール袋に雑草を入れるのを手伝った。豚のエサにするらしい。自給自足だ。

家に戻るとコマンさんが夕飯をお皿に盛ってきてくれた。「○○○!お腹空いたでしょ?豚肉と野菜のチャンプルよ」白いお米に味付けされた豚肉と野菜の和え物がのせられている。それを手でぱくぱく食べる。辛いけれど美味しい。お腹が満たされたところで、集会所へ出かけた。会場は大にぎわいだ。これから、村の既婚女性による踊りがはじまるのだ。あちこちから、「うちのお母さん大丈夫かしら」とか「まだはじまらないのかな。早く早く」など声が聞こえる。しばらくして、司会者が出てきてプログラムらしきものを読みはじめた。バリ語なのでよくわからないのだが、何組か出て踊るらしい。グループによって衣装も変わる。わーっという歓声とともに、最初のグループが舞台に現れた。濃いピンク色の衣装を着たお母さんたち(という感じなのだ)が登場し、男たちのガムランなどの演奏に合わせて踊り始めた。こういうお祭のとき以外、めったに踊らない人たちが多いらしく、誰々のおばちゃんがとか、うちのお母さんだ!とかみんな大興奮なのだった。すでに時は夜の9時をまわっている。すっかりくたくたになって、まだ踊りは続いていたのだけれど、コマンちゃんと弟夫婦と私は家に帰ることにした。ワヤン一家の家に着き、私たちは車でデンパサールへ帰らなければならないので帰り仕度をした。みんなに別れを告げ、コマンちゃんは一晩泊まってゆくというので、私と弟夫婦とで帰路についた。帰りの車では眠くなってうとうとする。そしてあらためて、バリ人はほんとにお祭好きだと実感したのである。