バリ絵画の世界

バリ島の歴史
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2005年7月18日
スマラプラ小旅行

カマサン村に滞在中、Sと一緒に一日だけ遠出をした。バスに乗って昔の王様の避暑地であったスマラプラへと観光に出かけた。避暑地というだけあってとても涼しいところだった。山の中腹に位置していて、高台から下を眺めるとどこまでも棚田が広がっていて美しかった。風もそよそよと気持ちよく、私たちは途中で果物をいくつか買い込み、石段に座って食べながら緑色の田んぼと丘を眺めた。王様の宮殿であるスマラプラ王宮は水の宮殿とも呼ばれ、お庭に大きな池がある。池には石で道がしかれていて、歩いて渡れるようになっている。宮殿の裏手からは湧き水が出ていて、ここの水を引いて池を作っているのだとか。ガイドのお兄さんが教えてくれた。ここはプールにもなっていて泳げるというが、藻が浮いていてとても泳ぐ気にはなれない。私たちはぐるぐると宮殿内のお庭を歩いて散歩した。石の彫刻もとてもきれいだった。お昼は宮殿向かいの喫茶でナシチャンプルをいただく。スパイスがきいていてとても美味しかった。それに観光客が少なくて穴場である。バリに来て、ぼーっとしたくなったらぜひ訪れてほしい場所だ。

そんなこんな、5日間の滞在も過ぎてしまえば、あっという間で最後の滞在地、ウブド村へ旅立つ日になった。カマサン村で描いた絵をしまいこむ。先生から大きな昔ごよみのカレンダーを買ったので、まるめてしまいこむ。あの偉大な先生の絵を買えただけで幸せだ。色付けは奥さんがしたという。ただ、とても大きな絵なので家に飾る場所がないのが悲しい。いつかエキゾチックな部屋に掛けたいものだ。

2005年7月17日(日)
カマサン村の日々

デンパサールを離れ、私は伝統絵画の村、カマサンへと車で向かった。途中、海沿いの道を通り、クルンクン県に入る。クルンクンはバリでは最も古い都だ。街には大きな裁判所(クルタ・ゴサ)がある。クルタ・ゴサの天井にはカマサンスタイルの絵が描かれ、地獄絵図となっている。私はカマサン村から四キロのこの街に滞在することにした。宿の予約はワヤンに入れてもらっていた。彼には本当にお世話になりっぱなしだ。1泊150円で朝食付きの激安の宿である。しかしほんとうにここの宿は大変だった。設備もさながら、宿の子供らに夜中にのぞかれるわ、結婚パーティで夜中までうるさいわ、工事で砂埃がすごいわ、などなど数えあげるときりがないほど。朝食のうすーい食パンの枚数が日に日に減っていくのも笑えた。シャワーはもちろん水しかでないし、トイレも桶で流さなければならない。洗面台は排水溝の管がなくて足にビシャビシャ水がかかるという始末。まあこれだけ安いんだからしょうがないと予定通り5泊したのだった。このときはデンパサールで同じ宿だった女の子Sと一緒だった。私より先に到着したSは来た早々ひどい目にあっていてかなりショックを受けていた。同じ部屋に泊まることにした。2人で本当に良かったと思う。出会って間もないけれど、意気投合して夜はおしゃべりを楽しんだ。

ここに滞在しながら、私は毎日カマサン村へ通った。ガイドブックに載っていた、ニョマン・マンドラさんに絵を習いたいと思い、訪ねたところ快く教えてくれるというので短期間ではあるけれどやれるところまでやることになった。それからというもの毎日四時間ほど、バリの古代絵画スタイルのカマサンスタイルの絵のデッサンがはじまった。村の子供たちが絵を習いにきていて、私も混じって絵を習うこともあった。みんな絵が大好きだという。笑顔がすてきな子供たちだった。ニョマンさんはバリでも有名な画家さんで知らない人はいないくらいの偉大な人だ。そんな人に絵を教えてもらうことができて、本当に幸せだった。年はもう70才くらいだろうか。でも子供達に囲まれてはつらつとしている。先生はインドネシア語があまりわからないので、言葉ではわかりずらいところがけっこうあったのだけれど、身振り手振りで伝えあいながら進められた。バリはインドネシア領として統一されるまで、バリ語だけしかなかったので統一以前から住む人たちの中には公用語のインドネシア語を話せない人が多いのだ。さて、カマサンスタイルの絵画は何人かの人で1枚の絵を仕上げる。1人が下絵をかき、1人がペンを入れ、1人が色をつける、といったような工程なのだ。アートというより職人芸のような感じだ。この絵は宮廷やらお寺でよく見られる。宗教と結びついている。モチーフとなるのはインドの神話、マハーバーラタやらラーマヤナなどだ。絵のモチーフにはパターンがいくつかあってそれを組み合わせながら絵を作っていく。それで絵の練習ではモチーフをいくつも描く。衣の線やら花から装飾までたくさんある。手の動きや体の向きから決まった形をいくつも描いて覚えていく。

毎日、朝からレッスンをし、午後はSと一緒に街をぶらぶら散策した。夜は決まって屋台でごはんを食べる。これがうまい。日本円にして100円もだせばフルコースが食べられてしまう。鶏肉入りのダシの効いたおかゆをたらふく食べて、おやつにバナナの天ぷらをつまみ。健康のためにとジャムウを試飲する。ジャムウはバリに伝わる漢方で薬草などをくだいて粉にしたものだ。ここに生卵と熱湯をそそいで飲む。種類は豊富で筋肉をつけるとか、ウェストを細くするとか美容と健康に関する薬でさまざまだ。私たちはすっかり屋台のとりこになってしまい、5日間というもの、いろいろな屋台でご飯を食べた。ナシチャンプル(ごはんと野菜と肉の盛り合わせ)も美味しいし、サテ(串焼き)も美味しい。人気のあるお店は早く行かないと売り切れになってしまう。

このクルンクン県に滞在中、宿での結婚式後のパーティはすさまじくにぎやかだった。結婚式にはお目にかかれなかったのだが夜、親戚や村の人たちが大勢集まってきて飲めや踊れの大騒ぎ。宿の息子さんが結婚したのだ。その弟が感極まっていて本当に嬉しそうだったのが印象的だ。みんなの前で冗談を大声で言ったりお酒をついでまわったり、すごいもんだった。私とSも一緒になって乾杯した。おめでたい夫婦に何かプレゼントしようと思い、Sと折り鶴を作り、さらに私は2人の似顔絵を描いた。いつもより倍以上時間をかけて、もっているなかで一番いい紙にデコレートして描いた。とても喜んでもらえてよかった。あっというまに深夜になり、もう眠くてしょうがなかったので部屋へ戻ってぐうぐう眠った。次の日の朝、なにごともなかったかのように宿が静まりかえっていたのがなんだか変な感じだった。子供をつれた新郎の弟がやってきて、しばし話した。昨日の夜とは違って落ち着いた温厚な人だった。こんな兄想いの弟を持って、兄は幸せだろうなあとしみじみしてしまった。